ライフ・ワークまでの道

自分のライフワークとは?という課題の答えも見つけられてないのに、新たに子育てという一大ライフワークが加わって、バランスを取ることなど毛頭目指していないけれど(笑)、一人の人として家族にも仕事にもきちんと向き合える人になりたいとは心から願っている。

昨年度は4月から(都内での)旦那さんの異動があり、6月に引越し・保育園入園・自分の職探しとまたも動きが大きい一年だった。
まだまだ悩むことも多いけど、振り返ったら自分なりのベストだった。今がまだ未熟だとしても、それを覚悟で辿りついた今だから、1月も終わる前にちゃんと記しておこうと思う。

感じたこと、気づきもたくさんある。お仕事を始めて否応でも自分を成長させなければいけない環境にいられること・娘が保育園でお友達や信頼できる先生たちに囲まれて生活できていること。恵まれているなと心から思う。
この選択をできたことでよかったと心から思える一方、やはりお仕事と育児の相性はよくないなあと思うこともある。特に英語教室など、自分で選んで始めた仕事だからその有難さを感じる一方で、結局"二兎を追ってしまった"という責任の痛みもある。
(開校から少し経った今は、多少落ち着いた方で、融通も聞くので余裕があるけど、フルタイムで働くお母さんは本当にすごいとも思う。皆当たり前にやってるけど…)

燃えるようなYESを持ち、NOを言う

娘が生まれてから、これまでの時間の使い方とまた変わり、時間を安売りしてはいけないと強く思うようになった。
仕事を探すときの軸も、「やりたいこと」みたいな一点張りじゃなくて、「家族の時間を割いても価値があると思える仕事」という思いで探した。

昨年はこれまでの自分ならしそうな沢山の「やりたい・行きたい・会いたい」を行動に移さなかった。それが良いことかはわからないけど
行動に移すだけが正しいとは思わなかったし、むしろ既に目の前にある大切なことに注力するには、たくさん選ばない選択をした。それなりに多くのお誘いを断ったけど、全て出来ない代わりに
本当に望む選択は心からYESを言えた。

仕事さがし

出産後1年8カ月はいわば専業主婦状態で、そこからの「再就活」は私には簡単ではなかった。無職からの職探しだったし、求職活動の保育園入園希望では点数が足りなかったので、「(仕事をするための)保育園にはいるために仕事を探す」というなんだか回文みたいな状況だった(笑)
そこで娘を家で見ながら求職活動したわけだけど、一人で動くのとはわけが違った。何度も面接や説明会に行けるわけでもなく、実母や義母に預けることもなかなかできなかったので、結局その中でも娘同伴で面接や試験を受けさせてもらえた第一生命にたくさんコミットして内定を得ることができた。(SPIは新卒の就活のときより勉強したし笑、前年に数検を取っていたので点数もUPした。採用の方にも目をかけていただき、何度も例外的に娘と一緒に支社を訪れさせてもらいました。)

「家族との時間を割いても価値があると思える仕事」

仕事探しを始めたときは、知らず知らずのうちに「安定」みたいな軸を基準に仕事選びをしていた。さんざんSPIを勉強して、採用の方にも目をかけていただき特別に娘を同伴して説明会から最終面接まで足を運び、甲斐あって第一生命の内定をいただくことができた。そこで初めて、いくら「安定」を軸に定時が17時で休みの融通が利くお仕事を選んだとして、これから娘と一緒にいられるはずの時間をある意味犠牲にしなければいけないのは働く以上避けられないのだと実感した。
そうであるなら、「仕事の時間を減らす」とか、負担を減らすとかいう考え方ではなくて、「家族の時間を割いても価値のある仕事」を探したいと思った。そうでなければ新卒で会社をやめた自分に申し訳が立たないし、本当にお仕事にきちんと誇りを持って、誰かの役に立てて対価を受け取れたらちゃんとその姿勢や思いも伝わると思う。

成功イメージ。絶対できる。

そこで、じゃあ何しよう?ということを模索して、自分がしたいこと・できること・働きやすさという面で出した答えの一つが英語教室だった。(加えて現在はパートのお仕事と、大切なリモートのお仕事をかけもち)
やはり自分の興味関心と合っててこの先磨きたいと燃えるもの。もう一つに、中高からの親友が昔から言ってくれたことで、「英語教室の先生向いてると思う」というのがあった(笑) まんざらでもなく自分もやりたいことで、自分の変にテンション高いところや手を動かして小物を作ったりが苦にならず好きなところ等、自分らしさを活かせそうな直観もあった。

チラシ配りで社内発表される

それでも、特に10月に開講するまでの募集期間は、大人しくパートだけやっていた方が短時間でお給料が出てたなあと思っては、娘が小さい大切な時期をこれでよかったのかと思ったりもした。
慣れないレッスンの発表や研修、開業準備に加えて、募集活動は正解がないので、とにかく足を動かそうと許可書をとって駅でビラ配りをしたり、毎朝4時起きくらいで娘が起きる前の時間や夜寝たあとにポスティングに行ったりした。(10月までに7000枚くらいはポスティングしていて、ベネッセの同時期開校で1番配ったそうで社内発表していただいたそうです笑)
それだけ動いたつもりでも、蓋を開けると実は私のお教室のかなり近く(マンション群の並び)に4件以上、それ以外の近隣エリアにも複数の英語教室がある地域で、ビラ配りをしていても、「あら~もう通ってるんです」と返事をもらうことも多々あった。
本部の人には、ママ友で誘える人いないんですか?とやんわり聞かれたりしたけど、いないし笑、自信がつくまではこれまでの人脈を利用するみたいなことは絶対しない、と思ってごく少数の人にしか英語教室をすることも伝えなかった。だけど、中身をよくしようという思いで、体験レッスンに来ていただいた人には体験入塾率100%で、今までみなさん選んでもらえているまでには自信がついてきた。理想は、自分の教室に来たら誰しも運命が変わる‼みたいな自信をもって、自分の口で宣伝できるようになりたい。
ただ娘と一緒の時間はゆったり関わっているつもりでも、毎晩レッスン準備やビラ配りのために布団を抜け出していたら、娘が夜些細な物音でも私を掴んで泣くことがあって、悪いことをしている気持ちにもなった。

順番を間違えない。

だけど、これだけは肝に銘じたいことに、家族がいるからこそ今の道を選んだ、ということ。
自分が大切にしていることとして、「楽しい・やりたいことをやる」という信条があって、娘にもそうなってほしいからには自分でも背中を見せなければいけない。
何より、娘といつまでも与えることができる、ギブできる関係でいるには自分自身をアップデートさせなきゃとも思う。
もう一つ順番を間違えてはいけないこととして、募集活動をさんざんしていたとき、教室の生徒数を見る必要があるけど、それを求めて中身をおろそかにしない、というのは肝に銘じたこと。

過信しない、バランスとる

やりたい気持ちばかり先行しても不器用な私なので、焦らず自分の実力でできることをこつこつやる。
目指したいのは、shining eyesを増やすこと。--"If the eyes are not shining, you get to ask a question: who am I being that my players' eyes are not shining?"--
「半径3mから幸せにする」とはよく言うけれど、まずは隣にいる人の顔をしっかり見ること。10月開校のために動き続けて、無事に最初の目標人数の生徒さんに通っていただき、年末年始を経て「もうちょっとやれそう」というところでセーブしているつもり。
保育園は大好きな娘だけど、やっぱり成長と慣れとともに、「保育園いかない、おうちにいる~」ということもあって、ここで甘えてくれる気持ちをしっかり受け止めなくてはいけないと感じた。よかれと思って働いていても、好きなことをしている以上エゴだから、この選択で家族を不幸にしているとしたら、それは改めなければいけない。
でも、通ってくれた人にプラスになりたいと思って始めた教室。単純に英語楽しいと思ってほしいし、英語という言語を通して自分が経験できたこと・習得する過程で試行錯誤したり悔しんだり自信をつけたりしたこと。
何かが伝わって子どもたちのプラスになってほしい。
まだまだ未熟だけど、焦らない。家族との時間もちゃーんと見る。

The Art of 2024

-半径3mから幸せにする
-今日が楽しみで目を覚まして、やりきったと胸いっぱいで眠る
-shining eyesに囲まれる
-手の届くところで目指さない
-「今」を準備期間にしない
-燃えるようなYESを持ち、NOを言う
-助けてもらった人に胸を張れるよう恩送りする
-自分単体の価値を上げる

1年8ヶ月の宝物箱


今週から娘が保育園に通いはじめ、涙のお別れから家に戻って、いつも娘と一緒だったはずのガランとした家に1人でいる。
このタイミングで入園することは、自分としては悩みぬいてベストだと思った選択で、一点の悔いもないのだけど、ポカンと寂しいこの気持ちもすぐに慣れていくのかもしれないから、シャッターを切るように書き残したいなと思った。
お昼間に毎日公園でぼーっと手を繋いで歩いてみたり、家の布団でニコニコしながら「ままー、あっこ(抱っこ)」と言ってくる娘を今と同じサイズで、同じだけの時間で眺める時間はもう戻ってこないから、記録しておく。

1年半/7年半
母親と、子どもが生涯で過ごせる時間は7年半らしい。
父親は3年4カ月。そのうちのほとんどは幼少期で過ぎてしまうため、たとえば私が自分の父や母と会う回数も年に指折り数える程度。
子育てを経験した人に合うと、本当に「この時期はあっという間だもんね」と言われるけど、子育てに注げる今の時期はきっと人生の黄金期なのだと思う。この先反抗期や思春期が来て娘は巣立っていく一方だろうから、今の幸せな時間がこのあとのまだ見ぬ大変な時期の拠り所になるんだと思う。噛みしめても噛みしめても、毎日はあっというまで忙しないのだけれど。

感謝状
ここまでの1年8カ月を、どうにか心身ともに大事に至らず総じて楽しく過ごせたのは、本当に旦那さんと娘の、この家族だったからだと思う。
旦那さんが毎日お仕事をがんばってくれたこと。東京で仕事を始めた年にも関わらず、休みを返上で妊娠中の私にも気遣い足を運んで、引越し・出産の大イベントを取り仕切ってくれたこと。娘が生まれた年に予備校に通いながら日々勉強して公務試験に受かったこと。産後の私が自分らしくいられるよう好きなことを応援してくれたこと。
あとは、娘と一緒に遊んだり時間を過ごした後には必ず、「今日かわいかった〇〇(娘の名前)はね〜」、と楽しそうにハイライトを教えてくれて、娘との時間=楽しいものだと率先して示してくれたこと。
それから、娘だったからこの1年8カ月が楽しかった。どの赤ちゃんも可愛いものだと思うけれど、娘のおてんばで元気なところや、少しおもしろい仕草や癖とか、人に興味しんしんで喜怒哀楽もはげしいこと。すごく"人間らしい"性格と、こちらが絵本や遊びで関わるほどにめいっぱい吸収して愛情に応えてくれることに、毎日の大変さも報われたと思う。
それだけではなく、娘が生まれてから自分の実父母や義父母の存在に助けられた。私の両親は物理的にサポートを尽くすことは(おそらくあえて)しないけど、「あの2人の子どもである」ことに少しだけ自信を持たせてもらえた。仕事をしていないので周りの人と関わることが減っても忘れずに声をかけてくれた旧友やその家族、近所のファミリーにも助けられた。1つでも欠けていたら、と思うほどすごく力になってもらえた。
少し前の私だったら、これほど恵まれてる環境に、甘えすぎていることがむしろ引け目になって、仕事を詰めてみたり大変さを嘆いたりしそうだけれど、今ジタバタせずに周りの人の優しさをきちんと享受していつか還元したいと思う。

スローダウン期間
妊娠期間も早めに東京に戻らせてもらえて、自宅で安静にするよう言われていたので、最初は手持ちぶさたで心がそわそわ追いつかなかったけれど、それから今までの1年8カ月が、自分を心の中で母親にしてくれたと思うし、心と身体が追いついてきた感じがしている。(母親としてはまだまだLv.1よりも前段階かもしれないけれど)
「上手に子育てしよう」と意気込むほど、私の場合はあれしよう、これしよう、と詰め込んでしまいがちで、それは悪いことではないと思うのだけど、“効率”や目で見えるものとは正反対のところに、娘との大事な時間は詰まっていたと思う。
ずーっと朝から晩まで家にいて、作ったごはんもぐちゃぐちゃに汚されたり、それでも片づけて、また作って・・という毎日で、娘も私にはワガママを出したり、私も決して24hニコニコきらきらできた毎日じゃなかったけれど、
いやなとこもひっくるめて、それでも一緒にいた時間でできる絆を感じることができた。それでも娘だし、家族だし、これからも成長過程で悪態つかれたり、傷つけたりしながら、あくまで私と娘という2人の人間関係の、まだ最初の1年8カ月なのだと実感した。

ルーティン
本で読んだけれど、幼少期の思い出をさかのぼるとき、多くの場合心に強く残るのは海外に旅行に行ったこととか、テーマパークに遊びにいったこととかよりも、毎日母親が絵本を読んでくれたこととか、幼稚園帰り道の散歩とか、日常的な記憶らしい。
この1年半は、私にとってはとても行動範囲が狭い地味な毎日だったけれど、娘の生活リズムに合わせてだいぶルーティンができてきたおかげで健康的に乗り越えられた気がする。

とくに、
・毎日公園や散歩に行くこと(できれば朝夕2回。雨の日でも子どもセンターやお買い物にはでる)
・絵本をたくさん読むこと(歩いて20分の図書館まで散歩して、期限の2週間ごとに上限いっぱいまで絵本をかりた)
・子どもセンターにいくこと(金曜日のキッズデーは皆勤賞だった笑)
というのは決めていて、疲れていても気分が乗らなくても、頭を使わずにぱっと外にでてたくさん色んな景色をみたり、お話できたことは良い習慣だったと思う。
・語りかけ育児(サリー・ウォード著)

ちなみによく他のお母さんに驚かれることに、我が家はテレビを置いていないので、よくも悪くも娘の気を引くのにデジタルにほとんど頼らず(頼れず?)絵本やおもちゃで対処してきたので、このルーティンがメリハリをつけてくれた。

保育園or自宅保育
気づけばお腹に娘が宿ったときからここまで、本当に一心同体というほど一緒にいた。
娘を誰かに預けたのは2回、義父母さんのところに、数検を受けた半日と結婚記念日の夜だったけれど、人見知りでそれも出来なくなり、旦那さんのお休みの日だけになった。
リフレッシュの為に単発のバイトを土曜日の早朝〜お昼前までホテルなどでするようにしていて、その時間は定期的に娘から離れたものの、
それ以外では髪を切ったり用事があったときと、3回ほどのお菓子出店と、親友のバレエの発表会と、大学の友人の結婚式くらいだった。
保育園で、腰を据えて慣らし保育で段階的に保育士さんにお任せできるという環境になって、ほんとうに心置きなく(感謝は忘れず)一人の時間をもらえて、久しぶりに静寂と深呼吸ができてる感覚がある。

旦那さんは献身的なので、一人の時間を作っていいよと常々いってくれていて二人で公園に遊びにいったりしてくれたけれど、多忙な仕事のお休みに娘を預けるのは、どうしても羽を伸ばしきるには申し訳なさが強く、いつも外では小走りだった。思えば一人時間を作ってまで行きたいと思うことも少なくなっていたので、もっと無理をお願いしても休み切った方が良かったかもしれない。
保育園や幼稚園のタイミングについては、出産後ずっと時期を考え続けていたことではあったので、正直結構語れる笑。自分自身は幼稚園育ちで母とずっと一緒に過ごしたけれど、前職の経験や環境をみていて自分はもっと早く仕事復帰するものだと思っていた。でも旦那さんが母親はゆっくり家にいたらいいと考えてくれていたことや、前職を退職していたため1から自分でタイミングを選べる環境にあって、だからこそよく悩んだ。(悩める環境にあることに大感謝です)
当初は愛情のホルモンや感性がもっとも高まる1歳~1歳半までは一緒にいたいと考えて、4月で年度が替わる1歳半のタイミングで考えていたものの、住んでいた市では希望の空きがなく、6月の引越しのタイミングで奇跡的にも家から近くの保育園の残り1枠に入れることに。
娘はイヤイヤ期に入るのも早く、だんだんと自我も体力も強まって2人だけで朝から晩まで娘を満足させることにエネルギーを吸い取られている感覚があったことと、娘のほうも人見知り期を抜けて、同世代のおともだちの輪に入りたそうにしていたので、自分にとっても娘にとっても1番ベストなタイミングであると納得できている。保育園or自宅保育というテーマで本もいくつも読んだけれど、結局のところ正解なんてなく、娘がどう感じるかということを大切にしたいと思った。むしろ生活リズムや社会性の面で保育園に3歳を待たずに行かせた方がメリットがあると思った。今の幼い時期をもったいないと言われたり考えたら胸が痛んだけど、食べ物から過ごし方の1つまで娘の大切な時期の全てを自分が背負うと思うと、結構真面目にやってきた分怖くなることもあり、私が必死にがんばりきるなんて私のエゴで、もっと開かれて育つべきだと思った。もし幼稚園まで自宅保育するには、今の自分では機嫌よくすごすという1番の目標を果たせなかった気がする。

仕事
保育園を探すにあたり

大切にしたいことば
・教育するかではなく、どう感じるかが大事
・中原教授の、色んな軸にふれる 
 

 

 

感情じゃなくて、整理しなくちゃ

最近、20時くらいにお風呂もお皿洗いも全部おわって、あとは寝るだけってなってはじめて、ようーーやく一日がはじまる気がする。

それまでは、本当に楽しめなくて、とにかく「こなす、こなす、こなす、、」

といった感じである。

 

そこまではずーっと私にはだらだらと家事という「仕事」があって、それを終わって何か作ったりするのが自分にとっての時間だ。

 

 

もっと、一日を楽しみたいのに、どうしてもそれまでは「仕事」になってしまう。

 

料理だって好きだし、何より娘と遊ぶ時間も。あんなに愛おしくて人生の黄金期だって、頭ではわかっているのに、でもやはり責任があって全うしなければいけない「仕事」なんだよなあ。

 

ても、そう考えるほど、私にとって「こなさなきゃいけないこと」で、そのプロセスを楽しめない。

片付けても片付けても散らかるし、父が帰ってくる前は汚く諦めて、ガーッと綺麗にすればいい。どんなに頑張っても、オムツ替えも、掃除も、ご飯も、夜中のミルク授乳も、やってはリセットされ。やってはリセットされ(しかも折角作ったご飯はバラ撒かれる)、の繰り返し。

 

何が辛いかって、これだけ頑張っていて(いるつもりで)、幸せな仕事だとわかっていても、頑張っている目先の仕事はたかが365日分の1にしか過ぎなくて、

しかもそれが、保育園にいってる子達からすれば、お母さんは手をかけなくても、

毎回立派な栄養抜群のご飯がでてきて、恵まれた設備で、保育のプロに囲まれて、確実にいい環境を与えられるということ。

 

それがわかっていて、私じゃ満たせないものを、私の自己満でおうちに閉じ込めてしまうと思っただけで後ろめたいし、私じゃない方がなくできるはずのことを私が頑張るモチベーションがどうしてもない。

 

それで、24時間娘と一緒にいた方がいいならまだしも、

毎日お着替えも、食事の片付けも、やればやるほど笑顔にはなれないことも増えて、それが娘にも伝わって、どう考えたってこれがいい訳がない。

遊んでくれるパパに嬉しそう〜な顔をしてるのがわかる。

 

パパは頑張ってくれてるのに、その姿をみるほどに感謝じゃなくて絶望感になって、その心が申し訳ないなと思う。自己嫌悪。

 

誰得なんだろう、今の生活は。ホントに。

 

そう思ってるのに、4月まで動けないし、ここに住むことになったら、保育園もない。探すエネルギーもない。とりあえず何かしなきゃいけないけどわからないから言語化

進んでも休んでも無気力

最近ほんとうに起きるのがつらい。(まあ、起こされるので普通に起きるけど。普通に過ごすけど。そこが出来ないほどではない)

起きてもまた同じ、けだるい1日の繰り返し。離乳食作って掃除して、産んでは消費し、動いた私の息切れだけが残る。

私だってこうなりたいわけじゃないのに、疲れた~て口に出すことしか能がない。割と、きてるのかもって思うし、キテルふりをして構ってほしいだけなんだとも思う。

おそらく刺激を求めているんだと思う。

刺激を求めているけど、それを探しだすだけのアンテナとエネルギーがない。

どんどん腐っていく。目の前の娘にばかり投資をして、娘は成長してくれているけど(それが何よりも救い!)自分自身は何も変わっていないんだもの。

 

休んだ方がいいのかもしれないけど、休んでやりたいことがないので、それを何をするか考えるのが本当にめんどくさい。ずっと休んでいるようなものなのに。

 

今までの感覚からいうと、多分必要なのは休むことよりも動くこと。
けど、動きまわるには身軽さが足りない。ちょこっと散歩行けば治るならとっくにしてるけど、それくらいじゃなにも変わらない、心の底にじとーっと何かが溜まってしまった。

結局のところは自己肯定感につながると思うので、何か動いて達成感を味わえるようなことをしたいんだけど、当たり前だけど成果を出すには腰を据えて努力しないといけない。その努力をしたい意欲をどこかに忘れた。

 

旦那さんが自由に動いているように見えて、どうしても恨めしく思ってしまう。本当は無尽蔵に努力をして家族のために頑張ってくれていて、その重ねで成果を出してるし息抜きするだけの資格は十分すぎるくらいにあるのに、

比べてしまって何もない自分に落ち込み、その矢印が相手に向いてしまう。娘に向かうことは本当にないんだけど、旦那さんにはいいなあって気持ちが充満してしまう。ゴメンネ。

 

こんなふうに書いてもどうにもならないし、それよりは「出かけたい」「休みたい」「働きたい」とか自分の要求をちゃんと提案できればいいんだけど、

それが何も浮かばない。休んだところで、出かけたところで、何も変わらないとおもってしまう。

でも吐き出しとかないといつか噴火したり、しらない間に塊が大きくなってしまいそうなので、とりあえず外に。スピークアウト。

 

自分はどうしたいか、だれか私の心に聞いてくれませんかね

 

 

 

 

 

雲のかかる日々に

 

くもり、☁、曇り、。

まだ雲はあるけど、上に「日」が載ってる漢字、曇り。

こういう時は、手を動かして作品に昇華するに限る。どうせモヤモヤした気持ちなんて、きれいな言葉になどできないのだから。

絵を描いて文章を書き、布をちぎはぐ縫い、ようやく心が栄養を取り戻すのを待つ。

そんなグレーの日々だけど、光が差すようないいこともあった。

思い立って北参道まで足を運び、話を聞きたいと思える女性のもとへ行った金曜日。

「お越しいただきありがとうございます」

と一言目から、優しさと品の良さが感じられた。

 

「たくさん足を運び、自分の目と耳で探す」というのは私が大事にしていること。

2年前ちょうど会社を辞めるときに出会った方だった。

ホテル業界のイベントでお話されていた、いわゆる「女社長」。2児の母でもあるが、育児をされながらエネルギーの強さとしなやかさを感じたことを覚えていて、会いたい、と単純に思った。

 

ざっくばらんに私の話を聞いてもらったり、仕事と育児の観点でお話をさせていただたいた。

働くかどうか迷っているということを相談すると、あっさりと

「別に焦らなくていいのよ~」

とあっけらかんとお返事。

自分なりにメリハリをつけて食事や睡眠・遊びと過ごしているつもりだけど、保育園のプロに任せた方がいいと思うこともある、と伝えると、

「子どもと一緒に昼まで寝たりすればいいじゃないー、生活リズムも関係性も、いくらでもこれから変えていけるわよ」

とまでアッサリ。。

 

え???そうなの?と拍子抜けした自分がいた。ポカンと間があいて、

『ああ、きっと私は仕事と育児をばりばりやってる方にあって、働く背中を押してほしかったんだな』と気づいた。

 

だけど、それと同時にその方が話してくれたのは、

仕事をしていたお子さんが小さかったときの苦労だった。(苦労自慢されていたわけではなく、経験をきくなかで感じたもの)

いかに男性比が多い会社でいかに肩身がせまいなか躍起になって働いていたか、

それでも、保育園に預けても完璧に育児を両立は難しく、もどかしかったこと、

娘さん・息子さんとの関係性で苦労したこと。

 

「ずいぶん”わるい”と言われる育児をしてたと思う。」

と目尻を下げておっしゃっていて、

成程これだけ苦労していたから、簡単に育児と仕事を平行せよなんて言えないんだろうなと分かった。

 

もう1つの気づきは、

言われてみれば私は、育児・家事自体はそんなに嫌いでもない、ということ。

 

話しているなかで、その方が明確に、

「私は、家事と育児はあまり得意じゃなかったから。」

とおっしゃっていて、だから専業主婦は選択肢になくて、仕事と両立することが自然だったという。

 

たしかに島の上司と話しているときも、

「うちは〇〇(奥さん)が仕事したいっていうタイプだったから。本人がそうなら続けようって話してたよ。」

と言ってた。

 

いろいろ難しく考えてたけど、”私”が働きたいなら働けるし、育児・家事に専念したければそれができるだけ旦那さんが働いてくれている。

だとしたら、

私の答えは??どうか。

 

結局どっちでも良くて、

お話をした方のオーラから、もっと人間力を聞かれてる気がした。

たぶん、家にいるだけでは私はすり減ってしまう。大切にしたいのに、そう思いすぎて、にぎりつぶしたり、手からこぼしてしまうんだと思う。

 

うまく風を吹かせなくては。

 

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追記、10/18。後で頂いた素敵なメッセージ。

〜〜

背中を押してほしいのだろうなと、復帰のきっかけを探しているところなのだろうなと、感じました。
しかし、優秀で真面目なお人柄と若いころに一生懸命下積みをした経験があるからこそ、中途半端な気持ちで復帰してしまうことの危険性も私はよく知っています。
幸せになるために両方手に入れようと頑張りすぎて、結局自分がつぶれてしまうことはよくある話です。
20代の終わりの3年間、周囲ではバリバリ仕事をしているお友達もたくさんいらっしゃることでしょうが、未来を不安に思ったり、他人と比べたりする必要はありません。慌てず、今の自分の幸せな時間を大切になさってください。
それでもどうしても仕事がしたくなるとき、しなければならないときは必ずやってくると思いますよ!

 

保育園or家庭保育

 

 

買い物から帰っている。黄色い帽子とランドセルのこどもたちがあるいていく。彼ら、彼女のお母さんたちはどんな気持ちなんだろうか?


一年間、悩んできた保育園いれるかについて、自分なりの意思としては来年4月から(時短でも)入れるのがいいかなと思っている。 
こういう時は悩んでる途中経過も書き記そうと思って記録しておこうと思う。


昨日、旦那さんの友達が遊びにきてくれて。
娘が想像以上に楽しそうな姿をみて、私の存在意義ってなんだろう?ってなった(そんなネガティブな感じじゃなく、ただただ自問した)。


こんな楽しい顔を、私は普段120%で出せてない。ゆっくり遊びたいし、時間を取っても、どうしても一日中一緒にいると、ニコニコできないときや、洗濯物や料理の片手間になだめるときが沢山出てくる。
旦那さんが帰ってきたときのパァッとした顔をみても日頃から思っていたことかもしれない。


私自身は、母親は専業主婦だったので、
愛情はめいっぱい受けたけれど、運動神経とか、コミュニケーション能力のところで、もし外遊びにもっと連れていってくれたら?母が一緒に”いる”だけじゃなくて、遊びや知育に一緒に励んでくれたら?と思うこともあった。


保育園や外に出て機会を受けてたらもっとあの人みたいに、才能が伸びたのではないか?と感じたこともあった。

 


友達にきいても、保育園は小さい頃から通っていたが楽しい場所だと聞いたり、海外では一歳以上になったら、家に閉じ込めてはかわいそう、と言われる国もあるらしい。


もちろん娘の幸せにつながるなら、専業主婦を喜んでやってもいいと心から思える。保育園に入れたい!とこだわってる訳では全然ない。
だけど、今は全部私の裁量に任されている。食べ物も、遊び方も。
それよりも、保育士はプロだ。プロの力を借りた方がいい、と思うことも多々ある。


むしろ自分自身は、娘と一緒にいたら幸せだけど、その幸せは、コンフォートゾーンにいる幸せだと思う。外にでて、娘ともっと居たかった、と後悔したら怖いっていう不安がある。
だけど、長い目でみたら、いきいきしてる母親でいたい。YouTubeでいつも見るここなファミリーを見てたって、お母さんが愛情注いだからってそのまま伝わるとは限らないなぁと感じた。

連絡をくれる同級生のママも、昔と変わらず明るいけどどこか疲れて自信がなさそうで、かわいそう、って思う自分がいた。
それよりは、未来に貯めれるときに、お金でもスキルでも貯めた方がいい、とは感じる。


今おうちにいて、この平和な幸せが一生続くならいいけど、娘に手がかからなくなったころには、私は30代や40代になっていて、
そのころに働けなくなったって、誰も面倒みてくれないでしょう、と思う。私の母はそれだった。色んなことを家族のために犠牲にしたのに、それは報われたのかなぁ?と思う。
娘ながらにそれは可愛そうで、申し訳なくて、そんなの私は望んでなかった。

 


最後に、その上で保育園or自宅育児のに二択ではないと思っている。
保育園に預けるとして、必要と思うこと。
条件として、かわいそうだと思わないことが大切だと思う。島の上司は、目一杯やりたいこともやって、かつ限られてる時間だから愛を注げる、っていってた。そうでなきゃいけない

ちなみにもし4月から娘を預けるとしたら、一歳半。一年半なのは、ちょうどいいと思う。
一番の成長ハイライトは見られたし、半年〜一歳半が一番愛着のオキシトシンが出るそうで、そのころは一緒にいられる。