speak out loud

家族の原点巡りということに関連してもう一つ、父親に連絡を取れたのはあの頃周りにいてくれた上司・活動を一緒にしてた人たちの影響が大きいと思う。

 

尊敬できる人たちを見てて気付いたのは、言わなくても生きて行けるようなことを、きちんと口に出していってくれること。

 

大事な話は言い出すのに勇気はいるけど、

多分、小さなことでも溜めていくうちに鉛のように大きくなって、もう取り出せない、もしくは出てきたときには爆発のように乱暴に飛び散る。

 

だから、小さなことでも特に感謝・お詫び・気になった感情も吐き出しておくことは大事。

 

 

7つの習慣

 

前にサマリー版を読んでずっと読みたかった7つの習慣を、今必要な期がして読んでみた。結果、すごく良くて特にミッションステートメントまで作れたのが整理できたので、記録用。

 

インサイドアウト

ここ数年の動きが激しかったせいか、どうしても、外界に刺激を求めてしまう自分に気づいた。特に場所であるとか環境に大きく変えてもらった体験があるので、それを踏襲しようとしてしまう。何もそれ自体が悪いわけではないのだけど、7つの習慣でいうと1・2・3の習慣をつけて自立を出来た人は、他に関わって飛び出した方がいいけど、私はもう少し、今ある場所で自分の軸を固めないと、場所を変えたところで自信がないゆえに他者に傷つけられたり、傷つけたりしてしまうと気づいた。

 

等身大の靴を履く

正しい道に向かうには、それに見合った靴を履かなければいけない。

立ち止まってみたら、あちらこちらに靴ズレができていた。これまでの靴は、少し大きかったみたい。

だから、自分に見合ったサイズの靴を履く。等身大にダウンサイズして、見た目はすこし地味でもよかった。そのほうが、きらびやかな靴よりも今の私らしいと思った。

 

原点:家族

いま手にしている環境の多くが、2年前に家族と向き合おうと決めた頃から始まった気がする。(たぶん当時周りにいた人たちのおかげで)なんとなく”今しかない”と思えて、8年会っていなかった父の連絡先を探し出して電話し、その秋には再会した。そこから自分も子どもを授かり、多くのことが変わった。

子どもができて、自分の家族・小さい頃について考えることがすごく増えた。母ともそれまでになく話した。私は幼稚園から高校までエスカレーターの私立に通い、習い事ややりたいといったことに関して、お金の制約を受けたことは少なくとも記憶のなかではなかった(尤も塾や習い事も殆ど行かなかったけれど)。一方父は仕事のためにほとんど家にいない時期があったし、父母がそろって4人で出かけた思い出も実は少ない。あの頃にはわからなかったあの恵まれた環境の偉大さと・同時にもっと格好悪くても一緒にいたかったよ、とか色んなまとまらない思いが、おしくらまんじゅうする。

2年前に家族と向き合い始めてから、心の核のところを安定させてもらった気がする。「理想」の家族を頭で描くことはいくらでもできるけれど、自分の家族の「実績」は生まれ落ちた自分の家族との関係でしかなくて、そこをないがしろにして新しい関係をいくら築いたところで、そこの関係が不安定なまま進んでいる気持ちがどこかであったと思う。特に、私の場合は本当に家族からの愛情を感じていたはずなのに、どこかで対話が足りないことが積もって、話せない関係になっていただけだったと思うから。1番身近でいつでも話せると思っていたうちに、1番遠い存在になっていた。娘のおかげで、母・父・姉・・と0だった家族の時間が動いて、それを、あとどれくらい動かせるだろうか。

 

ニジュウマルを作る

中学生くらいから、自分のなかで『二重丸』とのイメージがあって、人間関係や趣味・事象のバランス感覚として意識している。ー自分を中心とした丸があったとして、内側の小さい丸には自分にとって大切な存在:家族やひとにぎりの友人・パートナーなどが入り、私にとって出来る限り動いてほしくない固定的(あり方は変わっていいんだけど)な人たちが入る。一方で外側の丸には、もっと流動的(広く浅くともいえるかもしれない)な人たちが入る。もちろん内側の丸が重要なんだけれど、そこだけに焦点を当ててもいつか煮詰まってしまう。だから、外側の丸も意識を保つことで初めて、刺激を得られたり少しでも視野広くいられると思う。(本当はもっとグラデーションだけど、イメージとして。有名なマヨネーズジャーの話にも似ているかも。)

 

東京に帰って、家族や親友・高校時代の繋がりを少しずつたどって、恩師にはお礼をいったり、親友たわいもなく話す時間を取り戻したりするうちに、内側の丸を厚くしてもらっている感覚があった。さらに今は、中心である家族を築き、明確に守りたいものが決まったことで心地よいバランスが取れているきがする。

 

安心vs挑戦

ここ数年の私は、「挑戦」することをすごく大切にしてきたし、楽しんでもきたと思う。でも、自分の未熟さや自信のなさがよぎるとき、その挑戦が不安になって自分を苦しめたり、余裕のなさで周りの人を傷つけることもあった。(ごめんなさいmm)

旦那さんと会ってから、「安心」という言葉がよくでるようになった。本人がそれを大切にしていることもあって、退職・出産・引っ越しという随分と変化のある時期のなかで、「安心」できる環境の大切さをすごく実感した。すごく安心させてもらったおかげで乗り越えられたし、島での高校生との関わり方で反省したりもした。

 

指標:”shining eye”があるか

一番好きなTEDの動画。TEDの動画は昔よく何度も何度も繰り返しみていて、中でもスピーカーの温かい雰囲気がなんだか元気がでて、ダントツで見ていた。その中の成功の定義が今の自分にぴったりだった

How do you find out? You look at their eyes. If their eyes are shining, you know you're doing it. You could light up a village with this guy's eyes.

if the eyes are shining, you know you're doing it. If the eyes are not shining, you get to ask a question. And this is the question: who am I being that my players' eyes are not shining? We can do that with our children, too. Who am I being, that my children's eyes are not shining? That's a totally different world.

 I have a definition of success. For me, it's very simple. It's not about wealth and fame and power. It's about how many shining eyes I have around me.

 

本気

2年前、そのあたりの本気度はどうかな??笑、と聞かれたことがあった。

 

自分なりに多くの時間を割き、不器用ながらも楽しくて、この先も関わっていたいことについてーー

 

本気だ、と思っていた。言葉で言っても胡散臭いから、その通りには言わなかったけれど

 

それが、2年経った今、その本気だったことには関わっていない。

覚悟を持って離れたつもりでもある。でも、大切さを知っている以上。ifの世界が消えないんだ

 

 

原則作り

大切にしたいこと

・安心感。コントロールできること

・安心がある上での挑戦

 

選択肢

 

Y氏

・教採うかる→公立で働くor蹴って私立

→島に行くor いまの市で働く

・私立

海士町で教師など

・地域おこし

・JICA

 

わたし

・専業主婦(幼稚園から?)

→するなら資格などを勉強しておく

・週2.3でパート

・フルタイム(適当なとこで働くor求職で1ヶ月探す)

→パートみたいなところ・事務(大学事務とか) ・家庭教師・留学エージェント

・島にいって働く

 

 

★選択の基準(どんな状態でありたいか)

・安定、安心

・金銭面

・いきいきしていられるか

・挑戦

・やっている内容(やりたいこと・趣味・仕事・周りの人・環境)

・通いやすさ

・自然が多い

 

★今回学んだこと

・なるべく役割分担ではなく、同じくらいのストレスをかけていた方がいい

アドラーの課題の分離(あくまで自分のことに集中する

・選択を人のせいに依拠しない、責任をもつ

・「家族のせいでできなかった」を作らない

 

 

 

 

 

東京で聞こえない音が

夏がきた。

 

海の音。風の音を想像する。

 

こっちじゃ聞こえないよ。

 

電車と街の騒音に音にかき消される。

生ぬるいビル風もいらない。

 

買ったばかりのお皿がかけてしまった。

 

物は本当にいらない。

 

いくらあっても満たされない。

 

投資する価値があるのは、心が揺れる瞬間と経験だけ。

 

一区切り

7/10。

よーやく大きかった一つのことが、(まだ終わってはないけど)ひと段落。

 

私自身のことではないので、私は何もしてなくて偉そうに言える分際では全然ないのだけど

何気にいろいろ縛ってたんだなーって思う。

 

不器用なので、何か成し遂げたいことがあるときはどうしてもそれ以外は邪念モードになってしまう。

なので、いつもせかせか。やらなきゃ、やらなきゃモード。。

 

それなので、ようやくのんびり好きなことができるとなったのだけど、何したいんだっけ、、

とそわそわする。。。

(早くお皿あらわなきゃぁって落ち着かず思ってしまう笑)

 

 呼吸をととのえて、未来のためではなくてちゃんと今のために生きよう。

周りのためではなくて自分のために生きよう。

子育て難しい

子育てって、頭でちょこっと考えただけで難しい。

 

だって、どんなに自分を犠牲にして愛情を注いだところで、いつかは親離れして自立していく。(というか、そうなることがゴール)。それなのに、尽くしたくなっちゃうんだもんね。

 

 

妊娠中にたくさん本を読んだなかで印象に残っていること。

思春期や反抗期って大変そうだなぁ〜とイメージを持っていたけど、
子育てで大変そうであるフェーズ(夜泣き・人見知り・イヤイヤ期・反抗期・・等)は全て、順調な発達の証であるということ。
逆にそれがなくて育てやすいからって安心しちゃだめだし、茨の道になるようにできてるんだね笑、、

愛しさの代償なのかな。

 

 

安心できてるから母親に反抗できるし、傷つけあってなんぼなのだと思う。だから私も娘がちゃんと自分のために母を傷つけたとき、それでへこたれないくらいには

自分の人生を歩まなければいけない。

 

 

でも、自分の親子関係を考えたときに、中高生のツンツンして家の居心地がまったくよくなかった頃も・家がべつになってから話せなかった父も、
今は会える・話せる。娘の顔を見せたいと思える関係になれて、それが救いだなって思う。
勇気があれば、ちゃんと望む方向に向かっていく、と思う。

だから、不器用だけど、不器用だからこそ、この正解のない育児を自分なりにに精一杯やって、
間違えたと思ったらちゃんとあやまれる・変えられる母親になりたいと思った。