1年8ヶ月の宝物箱


今週から娘が保育園に通いはじめ、涙のお別れから家に戻って、いつも娘と一緒だったはずのガランとした家に1人でいる。
このタイミングで入園することは、自分としては悩みぬいてベストだと思った選択で、一点の悔いもないのだけど、ポカンと寂しいこの気持ちもすぐに慣れていくのかもしれないから、シャッターを切るように書き残したいなと思った。
お昼間に毎日公園でぼーっと手を繋いで歩いてみたり、家の布団でニコニコしながら「ままー、あっこ(抱っこ)」と言ってくる娘を今と同じサイズで、同じだけの時間で眺める時間はもう戻ってこないから、記録しておく。

1年半/7年半
母親と、子どもが生涯で過ごせる時間は7年半らしい。
父親は3年4カ月。そのうちのほとんどは幼少期で過ぎてしまうため、たとえば私が自分の父や母と会う回数も年に指折り数える程度。
子育てを経験した人に合うと、本当に「この時期はあっという間だもんね」と言われるけど、子育てに注げる今の時期はきっと人生の黄金期なのだと思う。この先反抗期や思春期が来て娘は巣立っていく一方だろうから、今の幸せな時間がこのあとのまだ見ぬ大変な時期の拠り所になるんだと思う。噛みしめても噛みしめても、毎日はあっというまで忙しないのだけれど。

感謝状
ここまでの1年8カ月を、どうにか心身ともに大事に至らず総じて楽しく過ごせたのは、本当に旦那さんと娘の、この家族だったからだと思う。
旦那さんが毎日お仕事をがんばってくれたこと。東京で仕事を始めた年にも関わらず、休みを返上で妊娠中の私にも気遣い足を運んで、引越し・出産の大イベントを取り仕切ってくれたこと。娘が生まれた年に予備校に通いながら日々勉強して公務試験に受かったこと。産後の私が自分らしくいられるよう好きなことを応援してくれたこと。
あとは、娘と一緒に遊んだり時間を過ごした後には必ず、「今日かわいかった〇〇(娘の名前)はね〜」、と楽しそうにハイライトを教えてくれて、娘との時間=楽しいものだと率先して示してくれたこと。
それから、娘だったからこの1年8カ月が楽しかった。どの赤ちゃんも可愛いものだと思うけれど、娘のおてんばで元気なところや、少しおもしろい仕草や癖とか、人に興味しんしんで喜怒哀楽もはげしいこと。すごく"人間らしい"性格と、こちらが絵本や遊びで関わるほどにめいっぱい吸収して愛情に応えてくれることに、毎日の大変さも報われたと思う。
それだけではなく、娘が生まれてから自分の実父母や義父母の存在に助けられた。私の両親は物理的にサポートを尽くすことは(おそらくあえて)しないけど、「あの2人の子どもである」ことに少しだけ自信を持たせてもらえた。仕事をしていないので周りの人と関わることが減っても忘れずに声をかけてくれた旧友やその家族、近所のファミリーにも助けられた。1つでも欠けていたら、と思うほどすごく力になってもらえた。
少し前の私だったら、これほど恵まれてる環境に、甘えすぎていることがむしろ引け目になって、仕事を詰めてみたり大変さを嘆いたりしそうだけれど、今ジタバタせずに周りの人の優しさをきちんと享受していつか還元したいと思う。

スローダウン期間
妊娠期間も早めに東京に戻らせてもらえて、自宅で安静にするよう言われていたので、最初は手持ちぶさたで心がそわそわ追いつかなかったけれど、それから今までの1年8カ月が、自分を心の中で母親にしてくれたと思うし、心と身体が追いついてきた感じがしている。(母親としてはまだまだLv.1よりも前段階かもしれないけれど)
「上手に子育てしよう」と意気込むほど、私の場合はあれしよう、これしよう、と詰め込んでしまいがちで、それは悪いことではないと思うのだけど、“効率”や目で見えるものとは正反対のところに、娘との大事な時間は詰まっていたと思う。
ずーっと朝から晩まで家にいて、作ったごはんもぐちゃぐちゃに汚されたり、それでも片づけて、また作って・・という毎日で、娘も私にはワガママを出したり、私も決して24hニコニコきらきらできた毎日じゃなかったけれど、
いやなとこもひっくるめて、それでも一緒にいた時間でできる絆を感じることができた。それでも娘だし、家族だし、これからも成長過程で悪態つかれたり、傷つけたりしながら、あくまで私と娘という2人の人間関係の、まだ最初の1年8カ月なのだと実感した。

ルーティン
本で読んだけれど、幼少期の思い出をさかのぼるとき、多くの場合心に強く残るのは海外に旅行に行ったこととか、テーマパークに遊びにいったこととかよりも、毎日母親が絵本を読んでくれたこととか、幼稚園帰り道の散歩とか、日常的な記憶らしい。
この1年半は、私にとってはとても行動範囲が狭い地味な毎日だったけれど、娘の生活リズムに合わせてだいぶルーティンができてきたおかげで健康的に乗り越えられた気がする。

とくに、
・毎日公園や散歩に行くこと(できれば朝夕2回。雨の日でも子どもセンターやお買い物にはでる)
・絵本をたくさん読むこと(歩いて20分の図書館まで散歩して、期限の2週間ごとに上限いっぱいまで絵本をかりた)
・子どもセンターにいくこと(金曜日のキッズデーは皆勤賞だった笑)
というのは決めていて、疲れていても気分が乗らなくても、頭を使わずにぱっと外にでてたくさん色んな景色をみたり、お話できたことは良い習慣だったと思う。
・語りかけ育児(サリー・ウォード著)

ちなみによく他のお母さんに驚かれることに、我が家はテレビを置いていないので、よくも悪くも娘の気を引くのにデジタルにほとんど頼らず(頼れず?)絵本やおもちゃで対処してきたので、このルーティンがメリハリをつけてくれた。

保育園or自宅保育
気づけばお腹に娘が宿ったときからここまで、本当に一心同体というほど一緒にいた。
娘を誰かに預けたのは2回、義父母さんのところに、数検を受けた半日と結婚記念日の夜だったけれど、人見知りでそれも出来なくなり、旦那さんのお休みの日だけになった。
リフレッシュの為に単発のバイトを土曜日の早朝〜お昼前までホテルなどでするようにしていて、その時間は定期的に娘から離れたものの、
それ以外では髪を切ったり用事があったときと、3回ほどのお菓子出店と、親友のバレエの発表会と、大学の友人の結婚式くらいだった。
保育園で、腰を据えて慣らし保育で段階的に保育士さんにお任せできるという環境になって、ほんとうに心置きなく(感謝は忘れず)一人の時間をもらえて、久しぶりに静寂と深呼吸ができてる感覚がある。

旦那さんは献身的なので、一人の時間を作っていいよと常々いってくれていて二人で公園に遊びにいったりしてくれたけれど、多忙な仕事のお休みに娘を預けるのは、どうしても羽を伸ばしきるには申し訳なさが強く、いつも外では小走りだった。思えば一人時間を作ってまで行きたいと思うことも少なくなっていたので、もっと無理をお願いしても休み切った方が良かったかもしれない。
保育園や幼稚園のタイミングについては、出産後ずっと時期を考え続けていたことではあったので、正直結構語れる笑。自分自身は幼稚園育ちで母とずっと一緒に過ごしたけれど、前職の経験や環境をみていて自分はもっと早く仕事復帰するものだと思っていた。でも旦那さんが母親はゆっくり家にいたらいいと考えてくれていたことや、前職を退職していたため1から自分でタイミングを選べる環境にあって、だからこそよく悩んだ。(悩める環境にあることに大感謝です)
当初は愛情のホルモンや感性がもっとも高まる1歳~1歳半までは一緒にいたいと考えて、4月で年度が替わる1歳半のタイミングで考えていたものの、住んでいた市では希望の空きがなく、6月の引越しのタイミングで奇跡的にも家から近くの保育園の残り1枠に入れることに。
娘はイヤイヤ期に入るのも早く、だんだんと自我も体力も強まって2人だけで朝から晩まで娘を満足させることにエネルギーを吸い取られている感覚があったことと、娘のほうも人見知り期を抜けて、同世代のおともだちの輪に入りたそうにしていたので、自分にとっても娘にとっても1番ベストなタイミングであると納得できている。保育園or自宅保育というテーマで本もいくつも読んだけれど、結局のところ正解なんてなく、娘がどう感じるかということを大切にしたいと思った。むしろ生活リズムや社会性の面で保育園に3歳を待たずに行かせた方がメリットがあると思った。今の幼い時期をもったいないと言われたり考えたら胸が痛んだけど、食べ物から過ごし方の1つまで娘の大切な時期の全てを自分が背負うと思うと、結構真面目にやってきた分怖くなることもあり、私が必死にがんばりきるなんて私のエゴで、もっと開かれて育つべきだと思った。もし幼稚園まで自宅保育するには、今の自分では機嫌よくすごすという1番の目標を果たせなかった気がする。

仕事
保育園を探すにあたり

大切にしたいことば
・教育するかではなく、どう感じるかが大事
・中原教授の、色んな軸にふれる